脊髄反射公的目録
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アーカイヴ

色々なコンテンツを消費する際に、あるマイナーなコンテンツについて個人で抱え込み、
周りと話しが合わずに日々を悶々と過ごすという事はネット時代においてほとんど無くなった。
今ではググればそのコンテンツが世間ではどのようなコンテクストで扱われているかが、
とりあえずグーグルのページランクの上から目に付く物を通り一遍見れば自分で考えること無しに分かる。
そしてそれを人はコミュニケーションのネタとして共有することができる。
 小説などはテキスト論としては『正しい読み』めいたものがあり、それとは別に小説の楽しみ方として
『多種多様な個人の読解』も許される―はずだ。
しかし多種多様な個人の読解がググッてしまうことによって抑圧され均されてしまうのではないか。

 個人的にはググるという手段が増えたのはとても嬉しい。
今自分が言った、想像力の均一化はググッてしまう事によって起きてしまうのではないか、という問題は、
確かに多少はあるだろうが、個人のみで育てた読解は検索することによって
面白く強化されることもあるのではないか、とも思う。


当たり前のこと言ってるだけだけどまあ ググるという手続きだけで、
いとも簡単に情報を得てしまえる事の問題は
作品を読まずとも作品の内部情報やネット上での評価を得て満足してしまい、
あまつさえ唐沢俊一みたいにネタとして消費してしまうことなんだよねーということが言いたかっただけです。
この雑記自体、あまり知りもしない唐沢俊一をネタにしているのだが…

ふぁぼ
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