脊髄反射公的目録
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アーカイヴ

私が(く)ずれていく

―――うーん
私が息むと肛門は震えだした。
いや肛門が震えているのでは無く私が震えているのだ。それは分かっている。
すると肛門から運子が顔を出してきた。
誰の子かもわからぬ運子。
恵まれぬ子運子。
白く濡れたダンスホールへと投げ出された運子は勢い良く踊る ぼちゃり
否、本当の事を私は知っている。
踊っている訳じゃあないことを。
誰しも運子が踊るなんてことは考えない。
考えたとしても安易な擬人化には辟易し、―――また下らぬ事を。と一蹴していたのではないか。
意識というモノは人間にのみ与えられたモノである、と思い込む。
 それではいけない。
今 運子に対して意識を備えさせることができるのはあなたしかいない
物語として語る。そして運子に息吹を吹き掛けるときにだけ運子は意識を勝ち取るのだ。
 
 《空想》だろうが《本当にあった話》だろうが『お話』として創りあげてしまえば二つの間の壁は脆くも崩れ去るだろう。
空想と現実の狭間にあるのは固定観念だけだ。
そんな藁は掴める訳も無く。




―私は運子。さよオナラという息吹を肛門さんに吹きかけられて意識を勝ち得た者―

ふぁぼ
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