脊髄反射公的目録
tumblr
アーカイヴ

愚痴

先週,実験レポートを提出したのだが,今回初めて,感想の段落のところで文句を言われた.というのも,
実験レポートというものは往々にして以下のような構成で作成される.
目的,原理,方法,考察,(感想)
そして,この感想の段落のところは,実験レポートの評価対象ではない.
そこで俺は,感想に関してのみいつも通りくだけた文体で記入したのだが,その物言いに指導教官から文句を付けられた.
彼のいい分はこうである.「これは遊びじゃない.だからこのような物言いはよせ.評価は低くせざるを得ない.」
確かに物言いの部分は俺にも反省の点はあるかもしれないが,他の点での評価はAであるらしいのに
この点においてのみの問題で全体の評価が低くなるとはどういう了見だ.
意味が分からない.
実験レポートの評価は内部情報においてのみ評価の対象となるのではないのか.それにこんな学部の実験れぽーととか遊び以外の何ものでもないだろう.
それに,考察の部分こそに一番労力を割くべきなのだが,方法を書く部分で一番コストを払っている.
そのように毎回糞めんどくさい方法を書く事にコストをかけるのはまったく意味が無い.そんなの全く創造性がないただの作業ゲーである.くだらない.
考察に一番コストをかけるべきなんだ.だから,方法なんて考察に必要な物のみを簡素に書いておけばいい.
冗長な文章とかはいらないはずだろう.試されるべきなのは,得られた情報から推論できる能力なのだ.
それに俺のいるところでは,texどころか,手書きでレポートを作成している奴らばかりだ.
全く向上できない手法である.なぜそのような無駄な事をやるのだろうか.
楽をするためには労力はいとわない精神こそが技術力を育てるのだ.そいつらは怠慢だ.そのような奴らの中にいると自分が腐る.
俺は強くないので,環境を変えなくてはならない.


読み返してみたけど支離滅裂だ.でもヒステリックになるのもしょうがない.俺は怒っているんだ.

(追記)
”それに”という接続詞のあとの文章は明らかに前の文章とつながりが無いものがある.
”それに”俺は感想の部分での物言いには俺にも問題があるかもしれないが,と書いているが,本当は全くみじんにも思っていない.ただ,自分にも非はあるんですよという体裁を保つ譲歩によって波風が立たないようにしてるだけである.くだらない配慮だ

ふぁぼ
jones_millionの今読んでる本